心のケアー「えひめ丸の事故」

 ハワイ沖でのアメリカ原潜と日本の訓練船の衝突事故は我々日本人に大きな衝撃を与えている。毎日のニュースで行方不明者の家族の皆さんの心境、怒りなどを聞くたびに国民は日本政府の対応に少なからず歯がゆさを感じていると思う。アメリカは国として正式に謝罪しているが、でも当の原潜艦長への査問委員会は来月に延期されたようだ。曰く、弁護士の日程の都合が理由であると発表された。でも本人からの何らかのコメントを聞きたい。そこでアメリカとの文化の違い、習慣の違いがハッキリ出てしまっているようだ。艦長側の代理人は何件もの事件を無罪へと導くプロ中のプロと聞く。涙ながらに本人からの謝罪、船の引き上げ、探索の続行を訴える家族の方たちの様子を拝見しても、今の僕には何もお手伝いは出来ない。でも国は何か出来るのではないのだろうか?家族方々の精神状態は極限に達しているのは誰しもが察しているであろう。でも家族の怒りは家族だけの心の中でどんどん悪く違う方向へ行ってしまいそうな事が心配である。もしも最悪の自体を想定したとすれば家族を失い、自分自信の心にも国に対しても不信と言う傷跡が残ってしまいそうである。そうならない内にまずは家族の皆さんへの心のケアーをする人が絶対に必要ではないだろうか?長い道のりではあろうが国はひとつずつ対処し、事故の究明、再発防止などを検討しなければならないし又、同時に家族の方々にもひとつずつ心の傷を癒してあげるようなシステム作りを考えるのも国の国民への義務ではなかろうか。老人医療の介護士不足も指摘されている。でも何とかこの様な時にも心を癒してくれる専門の人材を養成しなければいけないと痛感した。今後どのように進展して行くかしっかり見極めていかなければならない。

 アメリカに50年近く生活している遠い親戚の叔母が以前、僕に話してくれた事がある。「もしもあなたがアメリカで交通死亡事故を起こしたとしても、決してその場で謝罪はしない事、なぜならばその時点で自分の過失を認めた事になるから。たとえ相手方に責任があったとしても…。どちらが良くてどちらが悪いかは弁護士と協議して裁判後の判決が決めるのよ。それがアメリカ人のルール、考え方よ!たとえそれが自分の過失だとしても謝罪はそれから・・・」と。艦長は今、謝罪の一言が言えないのかそれとも言いたいのか?分からないがこの様な事は彼等にとってはごく普通の過程であるのは残念ながら事実である。でも日本人としては理解しがたく無念であるのも事実。日本とアメリカのみならず諸外国との間にはまだまだ遠い習慣という距離があると感じた。