ワルキューレ

 

 昨年、息子が「オートバイの免許を取得したい。」と、言い出した時に僕以外、家族は猛烈に反対した。当然であると思った。祖父母にしてみれば可愛い孫が事故にでもあったら・・・、(オートバイ=危険)が当たり前で、又、母親(悦子)にしても同じである事は言うまでもない。問題は僕である。30数年間、乗用車にしか興味なく数十台の車を乗り継いできた。今でも4台所有している。(でもすべて旧型)いわゆるカーキチの元祖である。それが20年くらい前にロールスロイスのコーニッシュという車種を2〜3年乗ってからはどんどんと乗用車への興味が薄れて行くのを感じていた。きっと車の最高峰にたどり着くのが早かったのかもしれない。そんな訳で今ではニューモデルが発表されても買い替などの気持はまったくと言っていいほどない。そんな中での息子がバイクの免許を?と、考えるうちに自分がこれまでにバイクに乗った経験が無い事に、何か後悔の念と言うか、やり残していた事があったんだ!の気持がわいてきた。不思議な気持であった。そして、どう話の結論を出そうかと家族の団欒の中で探りながら、思いついたのは「俺も免許をとる!」であった。それまでなんとか息子(孫)に諦めさせようとしていた家族がいっせいに僕の顔をみて、あきれ返っている雰囲気がわかった。「いくつだと思ってるの?」、「バカな事を言うなよ!」、「ケガだけですまないのよ!」など、息子への説得が父親である僕に向けられていくのがイヤというほど感じられた。でも僕は何度も理屈を言いながら息子と同じ空気の中にいたいと決心した。同じ気持になりたかった。正直、何故若者がオートバイへ憧れを持つのか理解したかった。結果は父子で自動2輪への挑戦である。そして僕は息子の約3週間遅れで自動車学校へ入校した。その時には彼はもう卒業(合格)していたのだが学校も教官も同じであったので妙なプレシャーは感じていた。でもやはり50歳になるとあきらかに反射神経は落ちていた。さほど意識している訳ではないのだが体力の違いをまざまざと思い知らされていた。でも実習はとても楽しく、通うたびに勉強になったし、もっともっと乗りたかった。上手くなりたかった。若者の姿ばかりの車校で待ち時間での僕の白髪頭はさぞかし目立った事であろう。でも幸せな事に全員の教官の方々が息子の事を覚えていてくれて、父親である僕に対しても大変親切に指導していただき、1発合格できた。嬉しかったのは言うまでも無いが、生まれてはじめて購入したバイクが納車された時の感激は言葉では言い表すことが出来ないくらいの衝撃であった。その後時間さえあれば10分でも15分でも出来る限り運転したりバイクに触れていた。又、息子とそれぞれのバイクに跨りミニツーリングなどを楽しむ機会が多くなった事でオートバイの楽しさや、テクニック、メカニックなども話し合ったり出来る事などで一瞬青年に戻る事が出来た。でも日が立つにつれて心の中にある挑戦という本能が蘇ってきてしまった。それは大型免許取得であった。僕はある事に興味を持つとトコトン追求しないと満足出来ない性格だから押さえきれない気持が再度燃え上がってしまったのだ。そして今年3月上旬、遂に大型(限定解除)免許に挑戦し合格する事が出来た。オートバイに触れて1年も過ぎていないけど、集中すれば出来る!を実証できた気持で満足感で一杯であった。

 家族もそんな僕を見て少しずつ理解してくれていったし、「頑張ったね!」、「気を付けてね!」と、言葉も変化していった。そこまではよかった。よかったのだが…。僕の頭の中は大型免許を取得したら大型バイクと言う方程式がいつのまにか成立してしまっていた。恐る恐る?夕食時の団欒で話を切り出し、バイクを買い換えたいと言ってしまった。家族の目は厳しかった。妻(悦子)などは呆れてしまったのか返事もしないし、父母は「何を考えているの」と、これまた冷めた雰囲気であった。1人だけ黙って聞いていた息子だけが僕を援護してくれた。まるで昨年のあの時と同じ、いや、主人公は逆転しているのだが、彼には理解できたのだろう。いつまでたっても僕は子供でわがままである。身勝手は承知。そして反対を押し切りナイショで?1520ccの大型バイク「ワルキューレ」をオーダーしていた。ゴメンナサイ!本当に申し分けない。4月20日納車、今日である。ちなみに「ワルキューレ」の意味は戦いの女神。僕はこれからしばらくオートバイの女神と我が家の女神?(悦ちゃん)の両方の女神を相手に安全運転という武器を持って戦っていかなければならないハメになってしまった。



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