9月11日

9月11日朝、日本時間の9月12日の夜のニューヨークテロ事件は全世界に衝撃を与えた。そして、僕達家族へも少なからず精神的な影響を与えたのも事実である。僕と息子は事件発生を生中継のニュース番組でみていた。そして、2機目の旅客機がWTCへ突入した瞬間にはまるで戦争映画を見ているような錯覚を感じていた。その時、妻と娘はニューヨークにいた。すぐに宿泊先のホテルに電話をかけなければ、安否は?でも、何度かけてもつながる事はなく、心配が募るばかりであった。ニューヨーク、マンハッタンは大きく3つに分けているが、滞在先のホテルはミッドタウン、そこまでは被害は広がっていない!現場からは6〜7キロは離れているはず…大丈夫!と、息子と二人、顔を見合わせて言い聞かせていた。でも、いつのまにか「心配」が連絡が取れない事への苛立ちに変っていった。ニュースは終日、事件を報道していた。一時間程が過ぎて妻からの一報が入った。気が抜けるような一瞬であった。「大丈夫、二人とも元気だし、ここまでは影響は出ていないから安心して!」と、言って電話は切れた。それから午前2時半までいろいろ方々からの問い合わせで電話は鳴りっぱなしだった。皆が心配してくれている事が本当に嬉しかった。ようやくベッドに入り、横になる事ができたのだがしばらくは寝つく事はできなかった。3時間程の仮眠で又、テレビのスイッチを入れてニュースを見ていた。被害は拡大し行方不明者とか死亡者の人数を伝えていた。我が家の妻と娘の無事は確認できたが、まだ消息の行方がわからない家族の方々の心境を思うと、とても他人事ではなかった。9月7日に渡米し、4日後のテロ事件以来、妻はニューヨークで完全な足止め状態、残してくる娘の事や仕事の事を考えると、いてもたっても居られなかったそうだ。NYの友人達が二人をサポートしてくれた事に感謝しながらも、内心は心細かったに違いない。さまざまな情報が飛び交う中、空港は閉鎖されていた。そして、物凄いほどの警備がなされて、いつ閉鎖が解除されるとも判らないままに多くの旅行者が空港で再開を待っていたそうだ。妻が予約していた便は15日発のユナイテッド航空801、成田直行便。空港が再開されて最初に飛んだユナイテッド航空の国際便であった。そして3時間程の到着遅れで、16日夜に名古屋の自宅へ戻る事ができた。妻は帰宅した直後に「本当に運が良かった」と言っていた。彼女の顔から疲労の色が感じられた。でも?無事に帰宅した安堵の気分は束の間で、翌々日の18日には埼玉のホテルにチェックインしてコンサートの準備をしなければならなかった。中丸一日、なにしろ時間に追われていたし、娘の事が今まで以上に気になりだした。僕達の仕事には代役がきかない。何があってもである。たとえ家族に何がおこっても…。承知してはいるものの、今回の出来事で「それ」を再確認させられた。でも、誰にも迷惑をかけずに済んだ事に感謝しなければならないと思った。先日、アメリカのメジャーリーガーが言っていた。「こんなテロ事件が起きてしまって残念だ。でも、僕達はプレーをする事でアメリカの市民に勇気と希望を与える!それが僕達の仕事なんだ」と。アメリカ国民は今、一致団結している。戦争への反対意見もあるだろう。でも、何の罪もない人々を巻き込んでしまったテロを絶対に許す事は出来ない。なんと卑劣な行為なんだろう。「9月11日」の傷が癒えるには長い時間が必要だと思うが、事件そのものの解決は急いでもらいたい。日本にとって対岸の火事では済まされないのだから!

最後にこのテロ事件での犠牲者全員、又、二次災害が起こるかもしれない現場へ勇敢に飛びこんで殉職した消防士、警察官、携わったすべての人達のご冥福をお祈りしたいと思う。