携帯電話

 先日、仕事を終えて帰宅する車の窓から不思議な光景を見つけた。それは、横断歩道を高校生風の青年が自転車に乗って左手でハンドルを握り、右手に携帯電話を持ってダイアルボタンをおしていた。僕にはただ単に電話をしているのではなく、間違えなくメールを作成していたと確信できた。危険と言えば危険ではあるのだが、よくもまぁ〜、そんな芸当が出来るものだと感心してしまった。携帯電話と言えば十数年も前、車電話としてスタートした頃を思い出す。当時は通話料金の高さと取りつけ費用や保証金など、高価な物だったと記憶に残っているのだが、トランクから伸びるアンテナに何か特別な優越感を感じながら車を運転していた気がする。今ではアナログからデジタルへと技術の向上も早く、あっと言う間に軽量でコンパクトになり通話料金も安くなって、随分身近になったし機能面でも多種多様なニーズに応えている。確かに便利である。ビジネスにプライベートに使用範囲は広がっている。携帯電話は今や国民の必需品になった。そこで我が家の携帯電話についてのお話…。なんと6台が存在する。すなわち家族全員が持っていると言う事である。父は80歳を過ぎたがその高齢を理由に、突然の出来事?(何が突然なのか分らない)が起きた場合に安心などと言い訳を言って持ち歩いている。が、発信ばかりでいまだに着信音を聞いた事がない。ましてやメール交換など出来るはずもなく失礼ながら宝の持ちぐされと思う。でも、本当の購入理由は孫とのコミニケーションの道具としてであろか?使用方法などは僕に聞く事なく、孫からの説明を楽しんでいるようだ。母は父に言われて無理やりに持たされている感がある。本人はどうでも良いようで購入当初は外出時にバッグに入れていたみたいだが、今や台所の片隅で充電器に収まったまま状態である。それとは反対に娘や息子はひっきりなしにメール音や着メロが鳴っている。(現在は息子だけであるが…)余り使いすぎないように1ヶ月の一定の料金を決めているが、一日に何度ダイアルしている事か、友達同志の話には切りがないようである。それにしてもあのメールを打つ速さには驚きだ。いささか不思議だったのが妻、悦子が携帯電話に興味を示したことであった。2年近く前、子供達の携帯の機種交換に出向いた時だったと思うが、「ついでに私も買ってきた」と言って何の機能も付いていない電話機をみせられた。どうせバッグに入れっぱなしで使用する事はないのだから僕は必要ないなぁ〜と思った。しばらくは眠った状態であった。それが不思議な事に2ヶ月前の8月に急に、最新の機能を装備した携帯電話に買い換えていた。僕は彼女はどちらかと言えば機械音痴だと思っていた。案の定最初は、説明書だけでは理解できない様子で、これ又、息子にメール送信他、使い方の特訓を受けていた。理由は単純であった。海外生活の娘とのメール交換が目的で必要にせまられておぼえていたのだった。連日の特訓の成果がみのり、今では毎日のように娘とのメール交換が続いている。それは、自宅からでも仕事先のホテルからでも、深夜になるとメールを作成している。その姿は僕にはもう恒例の出来事に写っている。でも作成時間は予想通り?時間がかかる。僕は早く寝て欲しいと思うのだが、大の大人が背中を丸め、目を細めて携帯電話とにらめっこしている姿が妙に愛嬌があるのである。僕はその光景に自然と笑ってしまうほどだ。来年は息子も海外へ留学するであろう。そうなったら、今のペースではきっと夜が明けてしまう。頑張って使いこなして欲しいものである。最後に毎朝、老眼鏡をかけて「携帯電話」を片手に、娘からのメールを嬉しそうに知らせに来る彼女、このまましばらく我が家の平和が続くことを期待したい?