ツアー終了

 以前、コンサート前の緊張感やプレシャーに関してお話したと思う。それは誰もが理解しがたい事だともお話した。それは事実ではあるのだが、僕たちも生身の人間で長期間のツアーを乗り切る為には如何に早く自分のリズムや生活パターンを見つける事ができるかがポイントになってくる。僕たちは時間に余裕がある時やツアー中の休日などは気分転換も兼ねて出来るだけ町を歩いてみたり、名所や景勝地などへも立ち寄る様にしている。ひょとしたら?新しい出逢いも生まれるかもしれないからだ。今回の東北ツアー、僕たちは最初の公演地の宮古市に入る前の2日間を会津の裏磐梯と三陸の陸前高田に宿泊した。台風21号の影響が残る中での移動だった。コンサートを前に秋の気配を感じながらのんびりと中年夫婦二人だけの旅を!なんて考えていたのだが予想に反してタダタダ車を走らすのが精一杯の移動となってしまった。磐梯山は雨雲に隠れ、翌日に予定していた中尊寺へは行く事が出来ずにまっすぐに気仙沼から陸前高田へと向かった。雲の切れ間からは明日の晴天が予測できたが、何か拍子抜けの感が残っていた。10月1日、ようやく晴天に恵まれた。僕たちは三陸海岸の絶景のポイントをゆっくり観光しながら北上し、宮古市までのドライブを楽しむ事ができた。

穴通磯
穴通磯

陸中海岸
陸中海岸

 

 その日の夕方に宮古市に到着した僕たち二人は2週間分の荷物を車のトランクから降ろしてホテルへチェックイン、夕食まで町の散策時間にあてる事にした。と言っても、ただ単に歩くだけで気に入った居酒屋を探しているだけだった。繁華街が何処なのかも分からないまま、JR宮古駅横にある物産品店の前辺りを通りがかったら店の女性従業員に「チェリッシュでしょ!明日観にいくよ!頑張ってね!」と声をかけられた。素通りも出来ないので店の中に入って「カニ味噌」を購入、しばしの立ち話、都会では感じる事ができないのんびりとした雰囲気が伝わってきた。それは明日から始まるコンサートへの大きなメッセージでもあったようだ。町に住んでいる人たちとの短い会話にその土地柄が見えてくる。予想通り、宮古、二戸、久慈、下北、すべての町の皆さんが僕たちを温かく迎えてくれて4日間のステージを無事終えることができた。そして、翌日の10月6日は東北ツアーの最終の町、三沢で休日をむかえた。僕は三沢で行ってみたい場所があった。「寺山修司記念館」である。僕たちのLPアルバムの一枚、昭和52年文化庁芸術祭参加作品「昭和わらべ唄」を故・寺山修司氏に作詞して頂いた。残念ながら生前にご本人とお会いする事が出来ないままだったので、せめて故人のそれまでの足跡を感じたかったのが理由だった。広大で静寂そのものの場所に異様とも思える前衛的な建物、それこそが寺山修司の世界なのか?と、「ひとり言」を言いながら記念館の中へと向かった。そして、僕は著書やスケッチなど数々の作品が展示されているコーナーで「昭和わらべ唄」のLPを目にすることが出来た。何だか不思議な気分になっていた。故人の写真が飾られた壁の下にチェリッシュのLPを真ん中に両サイドに直筆の作詞原稿、下段には他のアーティストの作品がディスプレーされたコーナー、僕は心の中で「有難うございました」と呟いていた。館内の奥へと進んでいくと、「天井桟敷」の舞台セット、故人のインタビュービデオ、幼少から終焉を迎えるまでの活動や思想が独特の演出で表現されていた。記念館でのひと時は僕たち二人には信じがたいほどのインパクトを与えてた。やはり故人は鬼才!そのものだった。帰りの車中、僕たちは何故か言葉を交わす事を忘れていた。さて、その日の夕食はスタッフ全員との会食会だった。ステージ裏で僕たちをサポートしてくれているスタッフは57歳から22〜3歳までの20名程、30歳以上の年齢差はあるが皆が一つになってステージを作り上げてくれている。明日の三沢公会堂での成功を願って乾杯!ツアー中で唯一の気を抜く事の出来た時間だった。

寺山修司記念館
寺山修司記念館

夕食会
夕食会

  翌10月7日、三沢でのステージは午後からの音響と照明の搬入と仕込に始まった。その後はプレーヤーのサウンドチェックと僕たちの音合わせが予定されていた。僕たちの楽屋入りは14時で音合わせは16時からの30分、それから開場までの18時までは大道具と照明の最終チェックの時間が組まれている。僕たち二人はコンサート開演の2時間前からは水分以外はいっさい口にしない。従って、16時までには楽屋で食事をすまさなければならないのだが、「その日」はタイミングが悪くて出前も時間外、エッチャンは果物などの軽食でいいとの事、僕は致し方なく、ステージ関係者から教えてもらった公会堂近くにある唯一の?「みかく食堂」と言う名の店へ散歩を兼ねて行ってみることにした。その食堂は小さな昔さながらの食堂、10名で満席か?又、失礼ながら見かけも・・・旧式?多少、戸惑いながら僕は店に入っていった。中では店の主人とおもわれるオバちゃん二人と近所の友人らしきオバちゃんの三人が井戸端会議、オバちゃんは入っていった僕を見ていきなり、「公会堂でコンサートがあるのよね?」と、話しかけてきた。だから、僕はてっきり、オバちゃん達が僕の事を知っているかと思って「そう!今日あるよ!」と答えて650円の「そば定食」を注文した。手際よく料理しながらオバちゃん同士、「チェリッシュのエッチャンは声が綺麗よね!どうしてあんな声が出るのかね〜、今日は楽しみにしているの。でも、指定席は並ばなくては取れないのよ、並ぶの面倒ね〜、お金を払ってもいいから全席指定席が良いわよね?あんた今日、観にいくの?だめ、孫の面倒をみなければならないから・・・」などと、本人の僕がいるのにコンサートの話やオバちゃんの生まれは函館で30年も帰ってないとか、函館の「北島三郎記念館」の話などを僕に話しかけてきた。どうも僕はスタッフか関係者の一員と見られていたようだった。そんな時の僕はどうすればいいのだろうか?改めて「僕がチェリッシュのリーダーの松崎です!」などと、自己紹介したほうがいいのだろうか?僕はただただ、カウンターに置かれたTVの台風22号の進路予報を横を向きながら見続けるしか「すべ」がなかった。「お待ちどうさま〜」と、僕の注文した「そば定食」が目の前に置かれた。野菜てんぷら入りの大盛りのそばとご飯、皿に盛られた多めのキャベツの上に2個の目玉焼き、ボリューム一杯だった。いっきに食べる事などできない。僕は食べてる最中にチェリッシュの悪口話が出たらどうしようか?ハラハラ・ドキドキ!何も気にする事はないのだが、何故か、その場から逃げ出したい気分で一杯だった。致し方なく、うつむき加減に食べる事にした。白髪頭に皮ジャン&ジーンズに薄いブルーの乱視・老眼兼用メガネ、オバちゃん達には僕の若い頃の長い黒髪にセーターを着た優しいイメージの姿が強く印象に残っていたのだろうか?期待を裏切ってゴメンナサイ!である。食事時間がとても長く感じられた僕は「有難う!」と言って料金を支払い、店を出ようとすると「家は自動ドアーよ!」と網戸を開けて見送ってくれた。僕は汗まみれになったハンカチを握りしめて足早に楽屋へと戻った。勿論、僕はその日のコンサートで、「みかく食堂」のオバちゃんへ「さっき食べに行ったのは僕、ハラハラ・ドキドキだったけど美味しかったよ!」のメッセージをステージ上から送った。多くの皆さんに観に来て頂いた東北・ツアーは三沢公会堂で無事終了、次は台風22号の進路予想上に位置する9日の小諸と10日の伊那の二日間になった。

 心配していた台風は関東地方を暴風雨域に巻き込みながら東北の太平洋岸を北上して行った。幸いにも小諸と伊那への大きな影響はなかったが、三沢からの移動中に民音の担当者の方と僕たちの事務所のデスク担当との打ち合わせの内容が届いた。それは、今の情報では、中止は予定してないが入場者数は半数以下になるかもしれないとの事だった。僕たちは常にお客様が何人だろうと歌う事が仕事である。心配しなくてもステージは頑張る!と、考えているが、もし、コンサートスケジュールに数日のズレがあったとしたら・・・、東北ツアーが中止と言う最悪の結果になっていたかもしれない。でも、そんな色々な心配が嘘のように小諸ではほぼ満席、改めてお客様への感謝の気持ちで一杯だった。10月10日、いよいよフィナーレ!伊那のステージを迎えることになった。緊張感が増していた。今日は開演時間が15:00のお昼の公演である。僕たちとスタッフ全員は昨晩の小諸でのステージを終えた後にすでに伊那へ移動していた。当日の早朝移動での不慮の問題が生じた場合を考えての事だった。しかし、コンサート後に僕たちは一足先に出発できるがスタッフは機材の撤収など時間を要してホテル入りは深夜になる。深夜の移動と早朝の仕込み、スタッフ全員、本当によく頑張ってくれた。今回の「東北・信州」のコンサート、伊那でのツアー最終ステージも満席のお客さんの温かな声援と拍手で幕が降りた。多くの皆さんやスタッフに支えられて、何とか全行程を大盛況で終了する事ができた。今、再び僕は「肩の荷が下りた」気分である。ツアーを振り返るとまだまだ話は尽きない。ファンサイトで応援して下さっている皆さんとの出逢いもあったからだ。直接にはお会いできなかったが久慈市へ観に来てくださった岩手支部長?のBUNBUNさん、伊那支部長?の沖村さんのファンサイトへの「書き込み」の文字から「チェリッシュ」への思いが伝わってくる。本当に感謝するばかりである。それに伊那でのコンサート終了後に小雨の中で僕たちを待っていてくれた信州支部長?のアルプスさん、「こんな時が来るなんて・・・」と言いながら涙交じり、震える手をさしだされた時には僕たち二人も「会えて良かった・・・」と、目頭が熱くなったのを思いだす。皆、心優しい人達ばかりだ。これからも多くの支部長さん?誕生を願って来年のコンサートに望みたいと再確認できた。1月31日から始まった「民音コンサート・ツアー」が僕に残してくれたものは多すぎてとても一言では表現できない。しかし、敢えて一つ挙げるとすれば「チェリッシュ」と言うグループを僕自身が再び、みつけられた事かもしれない。

多くのファンの皆さん本当にありがとう!         松崎好孝