エッチャンの涙

 先月のコンサート、エッチャンは何年か振りにステージ上で涙をみせた。第一部の後半「あの空へ帰ろう」の3コーラス目だった。僕はセンター、エッチャンは上手、僕がハーモニーに入る直前にフロント・モニターから涙まじりの声が耳に入ってきた。そして声が聞こえなくなった。エッチャンは泣いていた。観客の皆さんの中には何故、又、涙する姿に不快感を感じられた方もいたかも知れない。もし?そうだったらお許しを頂きたい。が、僕にはエッチャンが今回のコンサートのテーマ「あの日・あの時」を演じられた時だと感じた。

「歌は3分間のドラマ」と言われた時代があった。ぼくは今でもその言葉が好きだ。歌は演じるものと考えている。演歌もあれば、艶歌、炎歌、怨歌など様々な演じる歌が存在すると思っている。たったの3分!でも、ドラマはきっとある。ましてやコンサートともなれば十数曲、短編のドラマ一つ一つが重なり合って「大作ドラマ」にもなりうる筈だ。ドラマには「喜び」や「悲しみ」や「怒り」などが盛り込まれている。コンサートでも同じ、大雑把な言い方だがシナリオは歌で主演は歌い手で助演はステージに携わるスタッフ全員、当然、それらの感情が生まれてもいい。

 「あの空へ帰ろう」はコンサートの基本になっている曲である。歌詞にある「若い時」と「恋する時」と「年老いた時」、誰しもが経験する人の一生、僕は構成が出来上がるまでに何度となく聴いた。聞くたびに涙が流れてきた。年令と共に涙もろくなっていくのはしょうがないもの、しかし、3コーラス目の歌詞には毎回心を揺さぶられたのは事実だった。僕の若い頃は遠い昔、恋した時はいつだったのか?子供たちはいつの間にか大人になり、近い将来、必ず老いた時を迎える。僕の「昔」と「これから」、そんな思いが涙となって流れたのだろう。

 コンサート初日の館山、これまでになくエッチャンはリラックスしていた気がする。コンサートの流れを完全に把握できている様子だった。声の調子や体調からくる不安も感じられなかった。適度な「緊張感」と適度な「ゆとり」がエッチャンを歌詞に描かれている主人公にさせてくれたのかもしれない。シナリオを完全に把握したエッチャン!随分、長い時間を要してしまったが「あの日・あの時」は僕のイメージどおりに完成に近づいた。

僕たちが主役か観客の皆さんが主役か?いずれにせよ、お互い、一曲一曲に込められた思い出を「喜怒哀楽」と共に感じる事ができれば幸せだと思う。今年もコンサートはつづく。また何時の日か「エッチャンの涙」をみる時がくるかもしれない?でも、僕はそんな姿を二度とみたくはない。あの時・・・、「もらい泣き」を我慢していた僕の気持ちは誰にも解らないだろうから。


追伸

偶然、こんな写真が出てきた。海上自衛隊横須賀基地の輸送艦上でのコンサート、遠い昔の若い頃である。

艦上にて
艦上にて